入門編に目を通して呉れた諸君に、詳細なことを書き付けたページ。政治的な事から、數學的實裝、法律、日本での諸制度をネタに、理解を深めるページです。

目次

文字

凡そ三つの文字體系についてふれます。文字には「表音」・「表意」の別があり、漢字は「表意」ですが、「表語」であるとも云れます。文字の役割はこの三つにあるといへるでせう。

表意・表語の特徴は「象形文字」に始まることで、表音は「象形文字」が簡略化され意味が薄れ誕生するのが主。

「表語」に關して勘違ひしないで頂きたいのは、これは「字」それ自體が「語」を表すから特別に分けるのであつて、表音文字であれ表意文字であれ、文字を組み合せることで「語」を作ることは可能(一般にこれを造語と呼ぶわけ)であり、文字を組み合せて作られた「語」の文字からは、「語」自體が獨立して表音的表意的性質が薄れるのだといふことです。たとへば先例の表意文字を使つた「Apple」を莫迦正直に讀む人も居なければ、假名の「林檎を食ふ」をそのやうに讀む人も居ないわけです。

印歐語族

世界史の印歐語族(ゲルマン系)。基本的にラテン文字を擴張した感じの文字體系で、日本では英語の「イロハ」が一番有名。ABCは日本では英語風にエービーシーとするが、ドイツならアーベーツェー、フランスならアベセ、と多種多樣。これらは皆、ラテン語が諸語として訛り、且つ諸民族母語が混ざつたためとも云はれる。

ラテン文字はギリシア文字に、ギリシア文字はフェニキア文字(セム系後述)より生じたと云はれる。なほスラブ系(東歐)で用ゐられるキリル文字もまた、ギリシア文字に端を發する。

アラビア文化圏

世界史のセム語族。はつきり言つて、我々には歐文以上に理解不能の文字であり、歐洲でもそのやうに考へられて居る獨得の文字。ははあ、でも唯一分りやすい例外にアラビア數字がある、と思ふ君、「アラビア數字」は正しくは「(アラビアに傳はつた)インド數字」であり、「アラビア數字」は別にある。「一」に對する「イチ」と「ひ(とつ)」の違ひだ。原理的なアラビア文化圏ではインド數字をアラビア數字と呼ぶことを嫌ふから氣を附けて欲しい。

アラビア文字はアラム文字、アラム文字はフェニキア文字より生じた。フェニキア文字はユーラシアに於て大きな影響を與へ、セム語族内ではアラム文字として變遷し、ヘブライ文字をも生み出し、インドのブラーフミー文字やその子たる梵字、チベット・モンゴル文字そしてモンゴル文字を眞似た滿州文字などもこれに端を發するといふから、古代フェニキア人が如何に強力な國家を形成して居たかがわかる。ハングルはブラーフミー文字系統とも云はれる。ブラーフミー文字では、「フェニキア文字」ではなく「インダス文字」が親だとも云はれるが定かではない。インダス文字はドラヴィダ語族(南亞細亞、南印度)の文字。

漢字文化圏

世界史のシナ語族。滿洲語のやうにブラーフミー系統の全く違ふ文字も見受けられるが、基本的に極東に於けるモンゴロイドの文化圏で影響の強かつたシナの文字である(滿洲人の帝國である大清帝國では滿洲語と支那語を兩用したなど、爲政者による所もある)。金文が秦・始皇帝の時代に制定されたので、まさにこれをシナ文字(秦代の文字)と呼ぶにふさはしい。南は渤海を越えて越南(ベトナム)、東は日本海を越え日本、・・・と文字としては東亞に廣く傳播した。

漢字は、象形文字に始まり、それを抽象的に用ゐた。秦以前にも地域毎に色々な文字があつたやうだが、始皇帝が焚書などしたので、金文以外の「シナ」の文字は消失した。古くはラテン文字とキリル文字程度の差があつたはづ。金文うんぬんは漢字の「書體」を參照。

日本の大和民族やアイヌ、琉球は系統不明だけれど、漢字以外の文字を使用した痕跡は遺つてないので、今は考慮しない。殷(商)の殷墟より前、神代の五千年近く前から甲骨文字はあるのに、日本では見つかつて無いのは不思議と言はざるを得ない。日本人はどこからきたのだらう。

漢字の構造

象形文字

單純な文字。「山」など。尤も複雜なのは「龜」などか。「龜」の字にはカメの手足と甲羅、顔が確りと描かれてあり、何となく可愛い。「象」「馬」「川」などもこれにあたらう。

象形文字は名詞的であり、名詞を形容詞ぽく抽象的に用ゐて「造字」した。「造字」には「部首」と「音符(韻符とも)」といふ考へがある

部首と音符

小學校からの漢字學習で扱ふが、今迄一度も認識した事が無いなら猛省すべきである。漢字は「部首」と「音符」を理解すれば簡單に音や意味が類推できるやうになる。すなはち字源から語意を考察する。

部首は字の意味を、音符は發音を擔當する。「當」を音符とする蟷螂(カマキリ)の「蟷」は、「當」と同じ「音」を有し、「タウ(トウ)」とする。「虫」偏であるから、蟲を意味することがわかる。「當(当)」の字は、「常」「黨(党)」などと同じ音符「尚」を有し、部首はそれぞれ「田」「巾(キン;布のこと)」「黑」を有する。「党・黨」は「亘・亙」や「豊・豐」のやうに別の意味の漢字だが、当用漢字では一緒くたにされた。ちなみに「党・黨」「亘・亙」「豊・豐」の意味の差は次の通り。

今のところ、部首と音符で分けて記述できる文字コード體系はない。これを確り考慮できれば漢字の音の檢索が幾らか樂になるかも知れないけど、まだまだこれは先の話。ファイル一覽に漢字があるとあいうえお順ではなくて妙な並びになるけど、改善できたら凄いと思ふよ。

發音の變遷

字音假名遣ひを御存知か。「平塚らいてう」の「らいてう」の部分である。これは「雷鳥(らいてう)」の字音である。

發音は字音假名遣ひを見れば古形がわかる、なかなかのシステムである。幾つか例を擧げる。

古典でわけのわからない假名をみたら、大概字音假名遣ひである(例として"らうたげ"など)。

日本では時代によつて支那へと遣唐・遣隋使などが派遣されたので、彼らが持ち歸つた樣々な「音讀」がある。これを傳播した時代や地域から「唐音」「漢音」「呉音」など呼び習はす。「天皇」と「上皇」の「皇」の發音の違ひは、ここにあり、前者は呉音で後者は漢音と云はれる(註:別説で天皇は天王の轉とも云はれるが、北辰、則ち北極星の神たる天皇大帝を語源とするのが一般的)。「皇」は呉音が「ワウ」、漢音が「クワウ/クヮウ」であり、「テンワウ」の「ノ」の音は「テン」のンに引き摺られた物か。

萬はよく遣ふわりには「マン」の音は日本の慣習的な發音となつてゐて、呉音は「マウ」漢音は「バン」である。

發音にも色々あつて、日本では日本らしく、支那では支那らしく、朝鮮では朝鮮らしく、越南では越南らしく、と變化した。最早別物であり、コード體系で發音を考慮するなら、どれを參照するのかはよく考へなくてはならない。

書體

書體は秦の始皇帝が定めた。この文字の書體を金文といふ。金文は儀式祭禮用の文字であり、青銅などに刻まれた。古くは殷(商)の物や周の物があるが、喩へば殷周革命に活躍する商族(殷族)や羌族(太公望は羌族の一派、姜族の出)、など支那には多くの民族があり、民族にはおのおのの「金文」があつた。支那を統一した始皇帝は、異なる字體は焚書するなどして、文字の統一を計つた。

金文は、甲骨文字など象形文字を簡略化した物と云はれる。秦代以降(學説不定)に始まる印章制度では篆刻用の文字「篆書(てんしょ)」が現れる。金文を印に刻むために變化させた物で、秦代に「小篆」として整理された(金文同樣に)。「小篆」は今常用する「楷書」の原型となる字形であり、今でも印章では「篆書」を遣ふ習はしである。

「篆書」は「隷書」へと變化した。秦代より刻む目的の篆書は扱ひづらかつたのか、より筆記に向いた文字が考案された。隷書は飽くまで「刻む」動作を意識した文字であり、やはり筆記には向かなかつた。そこで生まれたのが今使ふ書體である「行書」「楷書」「草書」である。

「行書」「楷書」「草書」は、そのどれもが「隷書」から發生したと云はれる。「楷書」は普段使ひの文字で、現代の書籍類はこれで印字される(九成宮醴泉銘を著した歐陽詢といふ支那の偉大な書家の字體が、楷書ではよく參考にされる)。「行書」は「楷書」を速記する物で、多少の省略や連續があるが、「楷書」が分かれば「行書」も讀める。「草書」は、「行書」や「楷書」をより崩した物であり、書き順、筆順がまるで違ふことがあるので、「草書」を學ばねば讀むことはできない。

「草書」は、日本人にとつては「假名」で馴染み深いものである。殆どの假名は、漢字の草書が獨立して生まれたのである。

私はこれら書體の扱ひを考慮する文字コードは「超漢字」位しか知らない。Unicodeなど多くのコード體系では、書體を印字(フォント)に委せることになる。「超漢字」では同じ文字でも書體ごとに違ふコードであるらしい。

なほ近代になり、批判があるものの「ゴシック」などの書體も生まれた。これからも特殊な書體が生まれてゆく可能性は大いにあるであらう。

n.「明朝體」といふのは「明」の時代に制定された「楷書」を示してをり、「清朝體」、「宋朝體」など支那の王朝の名を表す文字で時代を示すことがある。常用漢字に準じる「教科書體」なども「楷書」の一派である。

國字

「辻」とか「峠」とか「颪」など。支那人は必要としない概念を日本で補つた恰好となる。これを國字と呼ぶ。

漢字は、やはり造語することができ、表語文字と述べたが、文字自體造語できるのである。それには、先述の漢字の構造に律するやうにせねばならない。

漢文法、事始め

漢字には國文法とは異なる文法があり、熟語は「正則漢文」の文法に從ふ。それは、外國、支那の文法なのであるから當然であるが、漢文を習つても意識しないことがあり、始末に終へない程「漢字」は國語に溶け込んで居る。

誰しもが意識する漢文法は否定表現であると思ふ。「童貞」を「無童貞」「不童貞」とは云はない。「非童貞」だ。若しやこれに「否、童貞で惡いか」など思ふ所もあるだらうし、否定表現「否」「不」「無」「非」などの別を小學校の國語では完璧に扱へるやうに學習する。

實際に「非」「不」「無」を見てみる。「非」は「體言」を否定する副詞・形容詞的な奴で、漢文では「〜アラズ」と讀む。「不」は「〜ズ」と讀むが、これが否定する對稱は「用言」であり、未然形で訓讀する。「童貞」は名詞表現であるから、「不」が附かなかつたのである(動詞表現とすれば、「童貞セズ」とでもなるのだらう)。

さて一方で「無」はどうだらうか。これは「有」の對義表現で、存在の有る無しのみを表現する。よつてこれは助動詞的性格の強い「不」「非」と比べて、極めて形容詞的であるといへる。

漢文を簡單に見てみた。「非童貞」何て言葉は辭書に無いし習はない。けれども自然と使つて居る表現である。「誰しもが意識する」とはこの事を言ひたかつたのだ。細かいことは漢文をやつて欲しい。英語の文型のごとく、動詞の位置とか構文・表現がイロイロあります。學校では「置き字」は飾り程度に扱ひますが、實際は置き字にはちやんと意味があり、場所・方向などを表す重要な「前置詞」的存在です。

若し日本語の文章を形態素解析(品詞考察)する必要があるなら、漢文に就ての實裝も必要なのかも知れない。

漢字に關する法諸制度(日本國)

プログラマも少なからず振回されるのでせう。ある程度知つておけば、擴張性を持たせることで、これら諸制度の變化に對應できるはづです。

訓讀み

漢文を訓讀する過程で發展したらしい。國語の音を外國の文字に振る發想は「振假名」と共に日本人が誇るべき發明である。

原則として、漢字の熟語は訓讀だけか音讀だけかの讀みになる。則ち、分らない熟語があれば漢字の音讀みだけを考へて綯い交ぜにしてはいけないよといふこと。訓讀のための宛て字では、宛てにならないけれど。

假名

書體でも述べたけれど、漢字の草書などから獨立したもの。明治以降は學校教育用に假名が決定されたけれど、明治以前は變體假名といつて、今使ふ假名以外の字體もあつた。

天麩羅屋なんかだと暖簾の「ふ(不)」の字が「婦」の草書であることがあつたりする。これはどう考へてもをかしい字形だからすぐわかる。夏目漱石は「か(加)」の變體假名である「可(形は"す"に近く、"一"と"の"を足した感じ)」の字を原稿に書いてたりする。今は滅切使はない。

變體假名は一風變はつてるけれど、違つた面白みがある。

当用漢字

常用漢字に移行。聯合軍の情報管制下であつたので憲法同樣に策定段階への批判がある。學者からの批判もあるけれど、それは字形の統一性が薄れたことに對して。

かういふと打つちやけ過ぎなのかもしれないけれど、字體を變更した事由は、戰後に左派の連中が改革を標榜したかつたことと、日本では聯合軍(それも日本語も知らない連中)が漢字廢止を視野に押し進めたことだからなのである。

支那では、中國共產黨は(共產革命など)改革を謳つたのであり、舊態を破壞せんとした。從つて簡体字なんてものを作つた。日本の漢字學者らは滅茶苦茶だと批判するけれど、日本も酷くないかといへば、字源からみると酷いところもある。一方で國民黨はこれを批判し、民主化革命と同じ改革を目指し乍らも、字は繁體字として「正字」を採用した。

兎も角も、偉ひ人たちが大眞面目にこれを制定した。續きは常用漢字を見よ。

常用漢字

ここでは常用漢字が字源として變だとか、一覽を示す事はしない。何を制定し何の爲に制定され誰が使ふのか、などが重要だと思ふので、その點を明らかにしたい。

常用漢字には「字體」と「字に纏はる讀み」の二つを制定する。たとへば一説に二〇を超える讀みがあるとされる「生」の讀みはこれに凡て網羅されないのである。小學校の教科書が手元に在る人は、附録として常用漢字表が附いてあると思ふから、それを見返して、普段見かける讀みが一部には無いことを確認して欲しい。「私(わたし)」などもない。

さて当用漢字の頃は「さし當たつて用ゐる(當用)」でよかつたが、漢字廢止論は日本ではなりを潜めた。では当用漢字の後繼たる常用漢字とは何か。何をして常用するといはしめるのか。常用漢字の混亂は、「國民が普段使ふ字を決めた」と告示する物なのか、「役所で遣ふ字を決めた」のか、それとも「教育用漢字を決めた」のか、判然としないことである。

「國民が普段使ふ字」といふ枠は、常用漢字の告示に飽くまで指標ですよ(強制しませんよ)とあるから、否定される。「役所で遣ふ字」は慥かに今の所さうだけれど、それなら何故出版社がこれを遵守しようとするのか解せない。「教育用漢字」もこれは正しいが、教育用ならなぜ同じく出版社がこれを律儀に守るのか。常用漢字といふものは、制度として國民に使用を強制しない事で大きな矛盾を抱へ込んでしまつた(勿論、強制なんてできないけれど)。聯合軍が闊歩して出版社なんぞに恐怖政治を敷いて居たころは、檢閲・發禁など行はれたわけで、当用漢字に批判的であれば出版すらまま成らない情況だつた。しかし今は違ふのである。では何故今も律儀なのか。

教育用とするなら、常用漢字ではないからといつて、新聞が常用漢字を使はずにカナに置換へる必要は無いのである。新聞を讀むのはいい年した大人なんだから、振り假名をふればそれでよく、難解な文章にならない限り、熟語から常用漢字外を除く理由にはならない。役所用なら「勝手にしろ」といふわけで、役所嫌ひのはづの新聞がこれに從ふわけがない。

私見だが、安倍前總理は「戰後レジーム(佛:régime;政府)からの脱却」といつたが、出版社はこの戰後體制の呪縛に捕はれてゐるのであらう。これを審議し内閣に報告する國語審議會も同樣である。たとへば國語審議會では或る字を追加するに、「男女平等にふさはしくない」「子供に教へるべきではない」といつた議論がなされるが、常用漢字の本來の目的がはつきりしてゐないにも拘らず、かういつたことを議論をするのは愚かしい限りである。教育用なら子供云々もよい、が、しかしこれは出版社なども從ふではないか。男女平等、表記するには差別的な文章であれ記録として表記すると思れるが、意味する所は同じであるのにそれを避けて何とするのか。

常用漢字とは斯樣に足下の固まらない制度である。技術者からすれば、JIS漢字に影響を大きく與へるこれは他人事ではないので、頭いいくせに何莫迦やつてんだ、と思ふことだが「やれやれ戰後レジームだから」と一應に納得して欲しい。一つだけ云へることは、矛盾だらけの常用漢字は、遲かれ早かれ何らかの整合性ある方向に變更されるであらうといふことである。と、いふわけで妥協案とも呼べる「次期・常用漢字」が平成二一年になつて登場した。二百あまりの字が追加される豫定である。

次期・常用漢字

名稱が變はるかも知れないらしいので、別項として設けた。幾つかの字が廢され、新たに字が追加されることが(クソッタレナ)國語審議會の漢字小委で答申された。

廢字とはすなはち、「匁」「勺」「錘」「銑」「脹」があぼーんされること。「匁」「勺」は單位として、後は高校で扱ふ單語として「膨脹」「銑鉄」「紡錘糸(紡錘絲)」などがあるが、教科書のこれがカナ書きになるといふことである。「膨脹」自體は「膨張」と書き變へることが多いけれどね。

「膨脹」のこの書き變へであるけれど、常用漢字にない場合は新聞テレビ等マスメディアにおいてよくこれが行はれる。「恰好(格好)」「旱魃(干魃)」「障礙(障害)」などである。本來の意味が變はるので批判が多い。一方で、「旱魃」の「魃」は常用漢字に無いために「旱ばつ」とすることがある。

「旱ばつ」といふ表記を交ぜ書き混ぜ書き)といふ。「拉致(ら致)」「效果覿面(てき面)」「漏洩(漏えい)」などである。書き變へと併用して「旱魃」などは「干ばつ」になることがあるが、もう原型すら留めてはゐない。

一方で「拉」が追加されたので、以前は「ら致」と表記してゐた大新聞さま(とくに朝日新聞はこれを徹底する新聞社のひとつ)がこぞつて「拉致」に戻すのは滑稽でもある。新しい常用漢字で習つてない人口の方が多いはづなのに、なぜ制定された途端にそちらに乗り換へるのか。ここに日本の官僚主導社會の縮圖がみてとれる。

なほ、一番厄介なのは「葛」が「匂の葛」ではなく「匃の葛」として常用漢字に追加されたことである。「匃」の方が字源として正しいので、常用漢字批判者は喜ばしい限りなのかも知れないが、「掲(揭)」「褐(褐)」「喝(喝)」「渇(渴)」とある常用漢字(註:丸括弧はとりあへず「匃」の字はJISにある事を示した)に習つて「葛」を「匂」で追加した手前、JIS漢字(後述)では「匂の葛」となつてゐる。一應「匃の葛」もあるものの、それは「匂の葛」と「匃の葛」が同じコード上にあるといふ厄介さ。制度に全く關係のない開發者からすれば、全く迷惑な話で、制度に制度が振回される好例。

一覽をみると、常用漢字批判で「あれもこれも表記できないよ」といふ、わかりやすい議論をかはす爲に追加されたやうな字が多い。たとへば「大阪」「奈良」「埼玉」「岡山」などである。常用漢字でも書いたけれど、かういつた逃げるみたいなことはやめて、制度論をすべきだと思ふのだけれど、どうだらうか。

印刷標準字體(康煕字典體)

近代印刷技術は明治に完成する。振假名をルビ(ruby)と呼ぶのは、政府が印刷技術を輸入した英國では印字を寶石の名で呼んで居たのだけれど、振假名を小さな印字で代用してそれが ruby と呼ばれた印字であつたから。同樣に英國では漢字の印字などなかつたので、日本では獨自にそれを作つた。この時の字形は今でも殘つてゐて「印刷標準字體」など呼ぶ。

印刷標準字體は、清代康煕の支那で制定された康煕字典の字體が參考にされた(選ばれたのは字典として格式があつたから)ので、康煕字典體とも呼び、康煕字典體とは繁體字・舊字体・正字體の別の呼び名でもある。

例として印刷標準字體では「外」「化」の「ト」「匕」の接點が突き拔けてあり、教科書體を除き多くの印刷屋は未だにこの字形であるが、当用漢字以降はこの字形での學習機會は全くないし、誰も意識はしてゐない。「雪」「婦」「歸(帰)」などでは「ヨ」眞ん中の線の部分が突き拔けるか否かの違ひがあり、突き拔けるのが康煕字典體だが、最近は突き拔けない字體が増えて居る。

印刷屋はかういつた些細なことでも振回される不幸な人たち。

JIS漢字(日本工業規格漢字)

パソコンや携帶、電子化される文字に影響を與へる規格である。後述の人名用漢字より後に制定されてゐるが、重要度は一番なのでここに記す。

JIS漢字での思想は文字の凡てを電子化することにある。それは戰前の文書も含むために、「一字に一字體」の常用漢字とは方向性が異なつてくる。といふわけで比較的網羅的であり、常用漢字や康煕字典體なんかを含む。

追加された順に水準があつて、これは附表の位置による。「JIS漢字コードの第X水準」をみて欲しいけれど、基本的には使用頻度を適當に勘案して追加してあるやうである。そこは常用漢字と變はるまい。

またJIS漢字では常用漢字に先行して、なぜか常用漢字にもない簡略字體が登録された。それが「涜」「鴎」などであり、「冒瀆」「鷗外」と表記するにはJIS規格としては新しいので表示できないことがあるといふ、ままならない情況を作り上げた。「縱割り行政」の弊害であるけれど、それは人名用漢字で詳しく書いたので見て欲しい。なほこのJIS漢字らをJIS擴張漢字とか擴張常用漢字とか呼ぶ事がある。朝日新聞社の朝日文字なんかが先行的に實施した(昭和二五頃から使用してたらしい)がために、昭和53年制定のJIS漢字でも追加しておくことにしたのが元兇のやうである。今では、混亂をきたしてゐるので、正字體の方向に囘歸してゐる。ちなみに朝日新聞社の朝日文字は平成十年ころから廢止された。

JIS漢字コードの第X水準って?

人名用漢字

あれれ何故人名用? と思ふかも知れないけれど、漢字制度を語る上で重要なのでこれも記す。

JIS漢字は網羅的である必要がある事はのべた。超漢字の立場からは、日本語に一〇萬字程度をUnicodeに確保できないで更にJIS漢字の五千とか一萬程度で滿足とは何事ぞ、とあるわけだけど、JIS漢字は制度のなかでは、常用漢字よりでもあり、舊字體よりでもある。一方の人名用漢字は、更にこの折衷案みたいな奴だけれど、それだけでは示し得ない事情がある。

人名用漢字は戸籍法の附則であり、日本國において出生兒の姓名は法制上これに從ふ必要がある(これは強制である)。人名用漢字は一字に幾つかの字體を認める。たとへば「遥」の正字「遙」は、常用漢字にない物だから人名用漢字にもなかつたけれど、最近「遙」が追加されたために「遙」といふ名前も可能になつた(註:制定前の戸籍には干渉しない)。年度の違ひでこれを使用できないのは如何ともし難いが、制度だから仕樣がない、「縱割り行政」の弊害である。

人名用漢字論(泉幸男) に「縱割り行政」どうのかうのあるのだけれど(他の國語施策にもふれてある)、法務省管轄の人名用漢字、官僚の立場からすれば、これは文科省を掣肘するために存在する。呆れた話だが、人名漢字には常用漢字で物足りぬから、といふからなのである。

平成十六年に人名用漢字追加候補案として「糞」「屍」と人名にふさはしからざる漢字が踊つたことがあつた。先項のページや、元NHKアナウンサーの青木逸平氏が「旧字力、旧仮名力」といふ自著で似た事を書いてゐるが、これは官僚が遣ひたい字を追加したためであつたといふのが、大筋の見方である。東大出ともあらう官僚が、人名にふさはしくない事にきづかないかといへば、そんなわけがありえないのは火を見るより明らかである。

常用漢字の項で「役所用漢字」として常用漢字の意義を並べたのは、常用漢字は役所で遣ふ字の基準になつてゐるからであつた。しかし、それでは困るといふので人名用漢字を作つた。人名用漢字の範圍内であれば、常用漢字でなくても使へるといふ苦肉の策であるが、これが「縱割り行政」といふ更にややこしい情況を作り上げた。JIS漢字もこれの「被害者」である。

現在、國内の漢字施策は、「これも縱割りか」と冗談のやうだが、文部科學省(文部省より繼承)、法務省(司法省より)、經濟産業省(商工省、通商産業省より)が管轄してゐる。それはそれぞれ書いてきた積りだが、相互に大きな矛盾を抱へてゐる。中心にあるのは最初に制定された文部省の当用漢字及びその常用漢字であり、他はそれに追隨する。もしこの不可思議を纏めやうとすれば、内閣がどうにかする必要があるのだらうけど、内閣は他に仕事が多いのでかういつたことは蔑ろにされてゐるらしいのが現状である。メディアも臭い物に蓋状態なので、國語學者だけが何やら喚いてる、さういふ現状だ。

なほ制定前の戸籍について觸れておくと、人名用漢字に無いからと改名させられることはなく、戰前は「變體假名」でも氏名を登録できた。総務省はこれを處理するために現代でも變體假名を、住民基本䑓帳收録變體假名(–台帳収録変体仮名)として、定めてゐる位である。其の他にも、土地の所有(不動産登記の假名)などでも手書き文字の別があり、これを正確に電子情報化するには、現状では心許無い。誰か頑張つて包括的な仕樣を作つて下さい。

簡体字と繁體字(支那・臺灣)

簡体字は中共が、繁體字は傳統的(traditional)な字體として臺灣(國民黨)で採用される。繁體字は舊字体・正字體などと同義。

簡体字の崩し方は草書などを見た物があるけれど、常用漢字基準から見て常用漢字論者でも「これは酷い」と云ふことがある。

簡体字と繁體字には、常用漢字では字形を崩した物の中でも崩してない物がある。「黑」などがこれにあたる。常用漢字では「黒」だが、正字たる「黑」を簡体字・繁體字ともに採用する。

南北朝鮮

原則廢止。北朝鮮や韓國では漢字を使用する時は、印刷標準字體(康煕字典體)になる。これは日本や中共や樣に新たに簡略字體を定めなかつたため。

實裝(主に於日本語用)

ASCII

區點コード

JIS(ISO-2022-JP)

Shift JIS

EUC-JP

Unicode

UTF-8

UTF-16

UTF-32

超漢字(BTRON用)

附録

入力補助・IM(Input Method)


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